2001 年のご挨拶

フォーラムマネージャからのご挨拶

低調な 2000 年のご挨拶に比べても、21 世紀最初の年を迎えての総括と展望はさらにおとなしくなります。

2000 年の総括

いよいよ、どんなに回線やコンピュータを高速化しても、人間一人が使える時間は一日24時間だという限界が見えてきたように思えます。前世紀は、溢れる情報の交通整理を図り、editor's choice を提供することに存在意義を見いだそうとしましたが、その破綻もはっきりしました。八方美人はダメなのです。というか、それをやろうとするならばそれなりの体制を整えなければなりません。しかし、それが目指していたものでしょうか。

2001 年の取り組み

他人のためにではなく、自分が使ってみて楽しく役に立つものを作るという原点に立ち返ります。顔色を窺いながら得心のいかないことをやって受け入れられないよりも、色を打ち出した方が爽快です。なんといっても違う考え方の人は別の手段があって自由競争。遠慮はいりません(先駆とか唯一という観念の呪縛が完全には解かれていない)。

具体的な取り組みとしては次の3つ。

  1. 会員による書評の推進
  2. 書評者開拓のためのフォーラム蔵書設立
  3. 週刊フォーラム情報発行

オンラインプレ書評の試みは出版社の協力を得られず停滞していますが、新刊については積極的に評価を載せ頼まれないで書く書評を定着させたい。モチベーションの一助とするために、フォーラム活性化予算から購入して半永久貸与とすることも検討する。フォーラム会員であれば誰でも借り出せる蔵書とできるかもしれません。

三番目のフォーラム情報はメーリングリストあるいはメールマガジンで発行します。従来この種の構想は何度となく現れましたが実作業の困難さが障壁となって実現に至りませんでした。しかし幸い(?)にも発言が激減している現在ならば可能です(スタッフがウェブ上で試行していますし、私は私で変則的に試みていた...内部連絡があまり良くないな)。目的は2つあり、まず@nifty 会員向けという壁をうち破ること。「ニフティにバイオフォーラムあり」を改めて打ち出します。2番目はプッシュ型メディアの試行。丹念に全会議室を読んでくれるというような熱心さを全員に求めるのをやめる。

これらの結果が吉と出るか凶と出るか。必死で送り出したメールマガジンは読者数が伸びない可能性があります。書評路線は、本をなくすとか、もらったきり書かないといったトラブルが予想されます。しかし失敗をあらかじめ定義しておけば潔い撤退ができるわけで、やる前からあれこれ悩んでも仕方がない。

撤退の条件

ちょっと甘めではありますが... あまり厳しい条件を自ら課して背水の陣を敷く、というのは向いていないもので。これによって目指すのはやっていて私が楽しいフォーラム、それはすなわち研究者が自発的に意見を述べあったり情報を公開したりする場を作ること。そしてそれの持続的な成長(メンバーが過度に固定せず、常に新しい人が加わる)です。

 

コーディネータからの挨拶

パレット「バイオの培養室」は昨年も低調のまま推移しました。「使い分け」が成立しなければ閉鎖も検討対象となります。

細川個人の新年挨拶(知己向け)

  1. 新年挨拶
  2. 年賀受付
 

2000 年のご挨拶

意気軒昂な 1999 年のご挨拶に比べ、20 世紀最後の年を迎えての総括と展望はぐっとおとなしくなります。

フォーラムマネージャからのご挨拶

1999 年の総括

1999 年は新サービスであるパレットに取り組んだものの「バイオの培養室」は静止期(lag phase)のまま年を越してしまいました。会員の協力をいただきながらもaをoに替えて対数増殖期に持ち込もうという試みは成功していません。その原因はいくつも考えられますが、外部的には使いづらいシステムであることが一つ。そして、それゆえにコーディネータも力を十分に注がなかったことがあげられます。パレットはウェブ向きではありません。私の知るコーディネータはニュースリーダーを使っています(私もこのためにニュースリーダを使いだした)。ところがニュースリーダでアクセスするには HYPER Road を使わなければならない。これは企業・大学のユーザに受け入れられません。もっともパレットは全部が全部不調というわけでもないようです。ということは工夫の余地はある。

パレットは 1998 年に導入された自動入会手続き(入会手続きのオプション化)とセットでフォーラム活性化の目玉といわれました。それは成功とは言い難いわけですが、同時にフォーラム側の問題も見えてきました。自動入会手続き導入の際は「ID での発言が増え、コミュニティが崩壊する」と危惧の声がありましたが、蓋を開けてみるとそういうことはありません(少なくともバイオフォーラムでは ID ハンドルはおろか発言そのものが減ったまま f^^;)。読み誤りです。またこの2つは「通りすがりの人」を増加させたはずですが、入会承認と同時に発送される「歓迎メール」を廃止されるまで(されてもなお)その意味を理解しなかったマネジャーがいることも明らかになりました。そこでフォーラムマネジャーの自主勉強会に引き続き力を注ぎましたが、振り返ってみると店をほっぽりだしてお祭りに打ち込んでた商店主の観もあります。4月からの経過は一部公開していますので、興味のある方はどうぞ。

2000 年の取り組み

NIFTY SERVE は 11 月に Infoweb と合併して @nifty となりました。その事の直接的な影響は今のところ現れてきてはいません。Infoweb 流儀を持ち込もうとしての軋轢も、他フォーラムでは一部あったようですが、おそらく取るに足らないことでしょう。むしろメガプロバイダの吸引力が、この4年間のインターネットブームにも動かされないで来た人を引きつけるかもしれません。

私事ですが、昨夏に旧師をインターネット利用にようやく踏み切らせることが出来ました。そして、双方その意識・リテラシの開きを改めて確認して愕然とした次第。ちなみにその師は比較的早くにワープロ専用機を使い始めた人で、本人は決して自分が時代遅れとは思っていなかった。言ってみれば電気と内燃機関の時代に蒸気機関の改良に取り組んでいたようなもの。それゆえ私がサーチエンジンなどを駆使して情報を集めオンラインソフトや市販アプリでそれを加工してみせて、ネットワークとコンピュータが研究にいかに役に立つかを見せると十年間以上に及ぶ誤解を告白して詫びた。今までワープロ専用機からパソコンへの乗り換えやネットワーク利用を薦められても全くの馬耳東風、趣味に毛の生えた程度の非実用的なものと思っていた由。一方こちらは、ネットワーカーの常識は世間の常識にあらずを痛感。なにしろ電話線につながないでインターネットにアクセスしようとするんだから。(--;

また別の例では、コンピュータを電話線に繋げばそれだけでインターネットが出来ると思いこんでいた人にも遭遇。プロバイダを指定して申込用紙も渡していたのに一向に進めないから、せっかく買った iMac は置物状態で、ついには新型が出る始末。団体利用なのでカード決済は諦めていたが、らちがあかないので代表か会計責任者個人のカードを使ってオンラインサインアップの道を探ると渡されたのはキャッシュカード。卓袱台をひっくり返したいのを抑えて、クレジットカードとキャッシュカードの違いを説明すると「こんど持ってくる」。ところがいざサインアップしようとして見ると期限がとっくに切れている。もともと浮世離れの傾向があったけれどここまでとは(福祉関係だから経済観念がなくても許されるって時代じゃあないと思う)。ひつじ書房の松本さんは、学校とテレビ(民放地上波)放送がコンテンツは無料または安価という間違った観念を植え付けていると房主の日記で指摘しているが、なんの貢献もしない完全なただ乗り利用者が増えることは大いに考えられる。

学術系ネットワークだって聖域ではない。先の松本さんは、大学教員が学生に専門書を買わせない、大手の出している安価な文庫で済ませたり、甚だしきに至っては違法なコピーすらする実態を告発しています。書籍のコピーは手間がかかるが、電子テキストなら朝飯前だ。研究情報の共有とは美しい響きを持つ。しかし恩知らず・恥知らずに対して一方的な持ち出しを続けるお人好しばかりではありますまい。そしてバイオフォーラム発足当時にはその点に神経を尖らせていたのに、この数年は無事故の上にあぐらをかいてしまっている。市販データの改造版が「フリーでござい」とライブラリにアップされた事件をお忘れか?

しかし完璧な管理はあり得ない。監視は萎縮をもたらず。結局は参加者の自治・自浄能力に頼るのが一番ということで、前提としてのネチズン育成が第一の課題。

2000 年はバイオサイエンスの内部でも、また周辺でも激動が予想されます。研究者の内部コミュニケーションの活発化が第二の課題。またあわせて外部情報の収集(これは非常に手薄)にも力を注がなければなりません。最後に、以上に劣らず重要な仕事として、専門家集団外(相互)への情報公開を掲げておきます。

2000 年 1 月 1 日
バイオフォーラム マネージャ
細川 啓
 

コーディネータからの懺悔

マネジャーからの挨拶にある通り、パレット「バイオの培養室」は惨憺たる有様です。定期的な話題提供を心がけるつもりですが、とっかかりのつもりで投げたのに誰も乗ってこない話題が溜まると、それ自体がつまらないことのように見えてこないか心配。かと言って、全部を自己フォローするというのも相当の難行。というわけで腰が引けたまま新年を迎えてしまいました。

2000 年 1 月 1 日
コーディネータ
細川 啓

細川個人の新年挨拶(知己向け)

  1. 新年挨拶
  2. 年賀受付といただいたメッセージへのコメント
 

1999 年のご挨拶

フォーラムマネージャからのご挨拶

年頭にあたり、総括と本年の展望を披露いたします。

バイオフォーラムは今年で開設十周年を迎えます。その前身であるコロニーネットワークサービス(愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所内)はパソコン(PC98)を用いた草の根 BBS でした。それがより多くの参加を得るために商用パソコン通信サービス NIFTY-Serve(現在は NIFTY SERVE)へ移動・展開し今日に至っています。

この十年間にコンピュータネットワーク環境は激変しました。ほとんど「神話時代」と呼べそうな苦難の時期を経て、今では職場からも自宅からも苦もなく internet へと接続することができます。初代 sysop の正木茂夫は「いずれは従時間課金ではなく、従データ量課金で繋ぎっぱなしが一般化する」と言っていましたが、それをこえて定額通信料での接続すら普通になりました。2400bps(2.4K)に驚嘆していたのが、個人でも 400K 接続が容易な時代です。昨年の日本生化学会の調査(生化学 Vol.70 No.12 1998)においても、回答者の8割近くが LAN 接続であり、ネットワークへの接続費用もほとんどが研究機関または研究費によって賄われているとなっています。

インターネット時代への対応の遅れ

そのような時代の変化を看過してきたわけではありませんが、振り返れば対応に誤りがありました。たとえばインターネット。95 年以前を思い起こすことができる方ならばおわかりでしょうが、今でこそインターネットはオープン、パソコン通信はクローズドと言われるものの、その当時はまったく逆でした。TCP/IP など市販のパソコンに標準装備はされていませんでした。それ以前に接続口がない。まず接続業者(ISP)がごく少数。東京や大坂など少数の大都会をのぞけばアクセスポイント(AP)すらほとんどない。おまけに料金は(パソコン通信に比して)高い。大学や企業でも情報通信系以外では、接続以前にその意義が理解されなかったことでしょう。それに比べて NIFTY-Serve は全国に AP があり、予算が認められなければポケットマネーでのアクセスも可能であった(予算が取れればビジネスアカウント ID に)。便利なツール類も豊富に用意されていた。何よりもつまずけば手を差し伸べてくれるコミュニティがあった。理念とは裏腹に大規模単一ネットワークの方が遥かにオープンであったのです。

インターネットというものがあるのではなく、その実態はネットワークの相互接続。したがっていずれかのネットワークに所属する必要があった。ならばニフティというネットに人を集めればよい。コロニーネット時代からの Bio-Net という名称のドメイン名をおさえはしたものの、NIFTY SERVE での活動を基本と考えていたことは、このサイトの寂れぶりを見ればおわかりいただけるでしょう。フォーラム紹介ウェブでさえ「入口」以上の機能を持ってはいなかった。そしてその結果といえば、ダウンロード時代の終りに対応すべくフォーラム改変を重ねてきたものの、利用者・利用時間の激減でした。(ただ、懲りずに言えば、利用時間の減少は高速通信の普及のせいと言えなくもないし、利用者の減少も相対的に見ればよく食い止めている方。)

ニフティ社自体もパソコン通信というアンシャン・レジーム(ancian regime)の代表とされ、利用者の伸び悩みに直面したため「日本一のプロバイダ」(会員数で)の意地を見せようとしています。さすがに営利企業ですから、会員以外にもオープン!という太っ腹にはなかなか至りませんが、WWW ブラウザだけで済むサービスの提供や AP を経由しないアクセスへの優遇措置などが進んでいます。詳しくはニフティ社の広報をご覧ください。

Bio-Net は交流の場です

さて、バイオフォーラムの目的は何であったでしょうか。それは「医学生物科学関連情報交換および研究支援システム Bio-Net」という概念が示すように、研究者相互の情報交換の場として機能し、もって研究支援を行うというものでした。これは今でもオープニングメッセージにおいて宣言しています。

Bio-Net バイオフォーラムが提供するのは研究者自身が作り出すヒューマンネットワーク構築の「場所」であり,「正しい使い方」や「正しい回答」を用意しているわけではありません。ご自分のやり方で Bio-Net バイオフォーラムをご活用下さい。
ここが商用データサービスなどとはもっとも異なるところです。質問をすれば適切な回答が得られるサービス、ではありません。質問への回答や示唆はすべて会員が無償で提供しているものです。したがって、その協力を得るも逃すも当人次第。リテラシについて支援はするものの、この基本は変わりません。

しかしこの機能を全うするためには多くの人のアクセスを必要とすることも事実。闇雲な量的拡大とは一線を画しつつも、今年はアクセス人数の拡大を目標の一つに掲げます。

Bio-Net は学生を支援します

情報交換の場としては学会があります。いずれはオンラインコミュニケーションも盛んになることでしょう。その時に Bio-Net はどうなるか? 歴史的使命を終えて退場するか。いえいえ、まだ3つの機能があります。まず学際的交流。次に後継者育成。そして非専門家への情報公開。これらは学会においても行われますが広く緩やかなネットワークの方がより効果的です。

FBIO はナマクラ学生にとっては鬼門です。過去において、「試験にこの問題が出されるから答えを教えて」式の愚問を発した自称学生には十字砲火を浴びせました。では学生の質問は禁止かというと、そんなことはない。意欲のあるものに対してはいつも開かれた存在であるべく心掛けています。

学部生はいうに及ばず、高校生にも学問の楽しさ、この分野の面白さを知ってもらい、進路として選択してもらえればこの上ない悦び。今年はオープンコース学生ライセンスという味方を得て、積極的に学生を迎え入れます。

Bio-Net は非専門家にも開かれています

研究者のために設けられた場ですが、領域外の方々に対しても情報公開に努めます。正しい理解無しに下される判断ほど恐ろしいものがあるでしょうか。好き嫌いの感情と条件反射で科学政策が左右されれば不幸極まりません。加えて相互に「非常識な」と敵視しあっていたらこの世は闇。敷居を低くして、非専門家の疑問と専門家の息吹が伝わり合うような場を形成していきます。

1999年1月2日
FBIO マネージャ
細川 啓

細川個人の新年挨拶(知己向け)

  1. 新年挨拶
  2. 年賀受付といただいたメッセージへのコメント

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