新年挨拶

98年総括

 98年は特に目標を定めていませんでした。希望を持たなければ絶望することもない。:-p それでも年末に振り返ってみるといいことも結構ありました。その中には東京インターネットの3か月無料アクセス権や IPIX とデジタルカメラを抽選で当てるという、本人の努力とは無関係ものものも多々あります。主体的に行動して良かったこととしては、Apple の MessagePad2100J を入手したことと初級システムアドミニストレータ試験を受けて合格したことが挙げられましょう。

ニュートン購入

MessagePad2100(MP2100J)はニュートン OS で動く元祖 PDA で、一昨年に MP130 という旧型モデルを試しに入手して、その使い心地に心酔していたもの。残念ながら日本語を処理させるには MP130 はやや力不足で、上位機が待ち望まれていました。ところがその価格に躊躇しているうちにアップル社はニュートン OS の開発を中止してしまった。おかげで MP2100 の予約受付も打ち切られ、幻の名機となりかけていました。それがエヌフォー社の尽力で秋に第二次予約が行われた。ニュートンショップからのメールニュースで発表と同時に知ることができたので、今度は即座に予約のメールを送る。用意された 900 台は即日完売だそうで、人気の高さが偲ばれます。

実は春先に MP2100J の入手が絶望的に思えたので別の端末も検討しました。その結果、B-TRON で動く TiPO(セイコーインスツルメント社)を購入しました。これは 300g と軽量で、単三アルカリ電池で 50 時間駆動(主催者側発表)という優れ物。携帯電話や PHS でメールを読むこともできるのはもちろん、HTML3.2 準拠のブラウザを搭載している(ザウルスに勝る)。日本語の変換はまともだし、手書きの線がきれいと良いことづくめに思えた。しかし好事魔多しと申しましょうか、思わぬ点から我慢できない存在に。まず驚いたのが MP130 では当然に行えた全文検索ができない。ニュートン OS ではファイルという観念がなく、すべては一つのスープになっている。そのためスープに対して検索をかければそれがメモであろうが住所録であろうが、あるいはカレンダーの内容であろうが等しく検索の対象となる(絞ることも可能)。ところが TiPO ではファイル内検索しかできず「あのメモはどこにしまったっけ?」というのに対応できない。いったん欠点が目に付くとどんどん出る出る。ソフトキーボードは馬鹿でかい上に碁盤目だし、10年前のパソコン並に不様な等幅フォントは間抜けにしか見えない。スケジュールは記入欄の行が独立で文字を続けて入力できない。もちろん行にまたがった単語は検索の対象外。メーラーのアドレス帳は使いにくいし、コンピュータとの接続ができなかったのも痛い(この場合、コンピュータといえば Macintosh です。Maso-Sad Windows なんて NIFTY-Manager 並にけったいなソフト――誉めすぎか?――を喜んで使うのは窓ヒストですよ)。なにかというとメモリ不足と騒ぐし電池ボックスの蓋は固いし。

というわけで秋に MP2100J が出るとわかると、円安でさらに高価格になっているにもかかわらず即座に予約。10.31 寺尾判決 24 周年の日に入手しました。基本的には満足していますが、思わぬ落とし穴もありました。皮肉なことに、それは検索機能に。イケショップが輸入して日本語化した MP2100 は検索に日本語が使えないのに対し、エヌフォー社の NLK はそれができる... 筈だったのに、なんとカレンダーがテキスト検索の対象外。おいおい話が違うぞ。MP130 から後退じゃないか。おまけにメモやアドレス帳に対してもおかしな検索結果が出る(どう探しても該当しない項目がヒットする)。X-PORT が使えないからコンピュータとデータ交換できないし(MP130 と赤外線ビーム交換をする羽目に)。辞書を強化して日本語変換はややマシになりましたが、それでも熟語変換は疲れます。これだけ問題があっても憎まれないのはアップルフリークの贔屓目か、それとも本物の先進テクノロジーが持つ徳だろうか?

初級シスアド試験

初級システムアドミニストレータ試験は、通産省が実施する情報処理技術者試験の一つで、「情報システム利用者の立場で EUC(エンドユーザーコンピューティング)の推進に従事する者を対象」というもの。昨年はじめて受験し、自信満々でいたところ不合格。後日発表された正解と答え合わせをすると(問題は持ち帰り自由)70から80点は取れていたはず。ということは合格レベルがかなり高いか、マークシートにありがちな1問ずれて回答というミスをしたか。後者なら試験慣れした今回は大丈夫、とカリキュラム改定で試験方式が変わったのにほとんど準備しないでぶっつけ本番。その侮りをあざ笑うかのように今回の試験は難しいこと難しいこと。おまけに試験日は10月というのに8月並の暑さ。前年にもまして疲労し、まさに「真っ白に燃え尽き」た感じ。傲慢を少しばかり反省してから、嫌なことだと忘却していました。

それが忘れた頃にやってきた合格通知。ちゃんと証書入りでした。しばらく舞い上がって喜んでから、「私は大臣の名入り証書をありがたがるような俗物だったか」と事後嫌悪。それでも今年の慶事にあげるのは、「国のお墨付なんかなくたって」と嘯いて客観的な判定から逃げなかったこと、そして何よりあの5時間の試験を文字通り闘い抜いたことを自分で評価するからです。

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周辺慶事

この1年を振り返ってみたところ、私自身の変化よりも周辺においてさまざまなことがありました。筆頭に挙げるべきは、かつて机を並べて仕事をしていたYさんのデビュー。編集の仕事をしながらルポ作家を志していたことは知っていましたが、最初の著書をいただいてからしばらく音信が途絶えていたところ、春先に突然メール。久しぶりに会って話を聞くと、「これで認められなければ」と背水の陣で書いた原稿が賞を取り、ノンフィクションライターとしてやっていくことになったという話。受賞作に手を入れて上梓した本が、まさかベストセラーになって、題名が流行語にさえなるとはその時は知る由もなく「それは良かったね」と月並みな挨拶で献本をうける。その日は「次のテーマとして植物バイオを考えているので協力を」という相談でしたが、その後を見ているとなぜか動物のクローニングをテーマにしています。精力的に、丹念に取材をしていて爪の垢でもいただこうかというくらい。92 年にいただいた賀状に「細川さんも眠りいってしまわないうちに動き出して」とあるのが耳に痛い。紆余曲折を経て飛び立ったものと地に這いつくばるものに分かれてしまったようだ。

この人をはじめとして人生を切り拓いていく例が目立つ年でした。対する私は、せいぜいが手を振って見送るくらいで、後方支援にもなってない。まぁ、何かのときは事態に合わせて救援に赴くなり救助隊を派遣するなり手を合わせるなりする準備はしておきましょう。

Fremd bin ich eingezogen, fremd zieh ich wieder aus.

また音信が絶えて案じていた人の消息を旧友から聞く機会を得ました。かなり深刻な事件に遭遇したものの今は回復しているとのこと。手短に言えば一件落着。これで、時効成立または恩赦発令を待つのはあと2件、と。(^^;;

FAE(frei arber einsam)

獅子座流星群

11 月 18 日未明の獅子座流星群はご覧になりましたか? 前日まで見る気は無かったのですが、夕方届いたメールを見るとやたら気合いの入ってるのがいて、おまけに今朝(17 日)すでに星明かりで影が見えるほどだったなんて書いてあるのでついその気に。早寝して夜中に起きて、メーリングリストを読んだら「誰か電話で起こして」とあるので律儀に電話をし、そっちは自動車で出かけるというのにこっちは八ヶ岳からの中継画像を見るだけ。

結論からいうと、ピークは 17 日の昼(日本時間)でした。1か月を経て思い当たるのですが、これは私の人生パターン。兆しはつかんでいながら、肝心なときにお留守になっていて、その気になって立ち向かう頃には終息している... *がそうだったし、*の時もそうだった。今まではただの「遅れてきた青年」と思っていたが、実は目の前を機会が通りすぎているのを見送っていたのではないだろうか。そして、もちろん次は拙速で失敗する、のを恐れてやっぱり見送りになる、のを避けようとしてフライング、では人生今まで何やってきたかわからなくなるから慎重、すぎて最後のチャンスを逃してなるものかと焦って暴走、するくらいなら後ろ姿を見届ける、なんて呑気に構えてる場合じゃないから...

ちょっぴり芸術

かつては「月に一度はコンサート」と足繁くホールに通った時期もありましたが、こういうのはいったん途切れるとなかなか回復しないもの。おまけにホール会員証の入ったパスケースを掏られるなんて事もあり、芸術から疎遠になっていました。勤務先にも住居にも、すぐ近くに立派なホールがあるんですが。

それが年末になってひょんなきっかけから一つの週に演奏会と芝居にいくことに。詳細は省きますが、まずオーケストラ。指揮者がハイテンションな人で、感想を一言でいえば「音符が多すぎる」。どこもかしこも4千メートル級なので、空気は薄くて陽射しは強いんだけどなんか平地にいるみたい。あまり刺激が強いと人間の感覚器はそれを遮断するようになる。そこで耳はお休みして演奏者を眺めることに。おかげでなかなかの眼福にあやかれました。

一方の芝居。さきの「音符が多すぎる」でピンと来た方もいるでしょうが、日生劇場で九演されていた「アマデウス」を久しぶりに見てきました。再演から見出してこれで6回目か。モーツァルト役は江守徹の印象が強烈で、市川染五郎は2度目でもどうもしっくりこない。また全体に騒々しくなったような気がするが、これは比較の対象が古い記憶だからあまりあてにはならない(「後宮からの誘拐」の後で、コンスタンツェが登場する場面にカテリーナは居なかったように思うが)。またラストは「名もなき人々よ」となっていたが、これは「凡庸な人々よ」だったような。

まぁ、そんなことはどうでもよい。先ほど、部屋の奥から埃をかぶった再演・三演・五演のプログラム、それに映画が出たときの朝日ジャーナル(Vol.27,No.8:1985-3-1)を引っ張り出してきた。この今はなき週刊誌には面白いことが書いてある。石井宏(音楽評論家)は

率直に言えば、映画が終わった時点で私にはほとんど感動が残らなかった(舞台はロンドンでもニューヨークでも、圧倒的な迫力を持っていた)。
「以上のように映画の登場人物の性格は、原作と比べるとアクが薄められており、口あたり良くなっている。それはちょうど、どろりと濃いトルコ・コーヒーが、ホイップ・クリームの浮かんだ甘いウィンナ・コーヒーに化けたようなものである。
と書いている。異議なし! また江守徹(五演までモーツァルト役を、新潮カセット文庫ではサリエリ役を演じた俳優)は
舞台と映画で決定的に異なるのは、老いたサリエリの告白が誰に向かって語られるかという点にある。
今まではどちらかといえば映画の優位を感じさせられることが多かった。しかしながら、映画『アマデウス』を観て、演劇もなかなかのものだといささか安心した気分である。
と控え目な勝利宣言。とにかくこの名作は私の頭の中でいつまでも、そして何度でも再演されるであろう。この感動を語り合える人に出会えないのが辛い(来年もどこかでやられるだろうけれど、うーん、もう一遍見ようかな)。

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新年の抱負

今年は新年の抱負を述べておこうと思ったら、年末の大掃除で『マーフィーの法則』(アスキー出版)が出てきて、パラパラとめくると「さぁ、にっこりしろよ。明日よりは今日がましだ。」とありました。つまり「去年はいつだっていい年だ」とさ。それでも私は宣言する「今年もやります」と。

冬蜂の 死に処なく 歩きいく

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